礼拝
渡部信
常盤台バプテスト教会 2022.1.30 主日 悲嘆から希望の民へ⑳「求めよ、そうすれば与えられる」渡部信牧師 【ルカによる福音書11章5~13節】(新共同訳 新約P.127-128)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書40篇1~8節 司式者
祈祷 司式者
賛美 297番 主によりあがなわる 1、4節
聖書 ルカによる福音書11章5~13節
特別賛美 “キリストには替えられません”
宣教 「求めよ、そうすれば与えられる」 渡部信牧師
祈祷
賛美 298番 十字架の影に 1、4節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 今日の礼拝のメッセージはルカ福音書から「求めよ、そうすれば与えられる」と題して、聖書のみ言葉を学びます。
私たちは毎日の生活は、常に何かを求めながら生きております。今、必要なもの、将来必要なもの、今、すべきこと、毎日の生活を維持しながら、歩んでいるわけです。でも身近なものは容易に手にすることができますが、すぐに手にすることが難しいものもあります。多くの人々にとって、将来の希望や夢を描く時、願ったり、欲しいものは、不確実ですから、努力なしに手にすることができないモノがあるでしょう。でも一生懸命求めるならば、それを得る可能性は格段に高くなるかもしれない。しかし全ての人がそれを手にするかと言えば、そうでもありません。むしろそう願っていても、欲していても、それを得ることができないまま終わってしまう人は多いのです。他の多くの宗教では、人々の願いを叶えるために、いろいろなご利益があって、お参りや祈願を勧めています。
それではキリスト教の神様は本当に、一生懸命、神様に祈れば誰でも何でも私たちの願いを叶えてくださるのでしょうか。聖書のマタイ6章にはこう書かれています。「だから、言っておく、自分の命のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服より大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。・・・・あなたがたの天の父は、これらのものがあなたがたに必要なことはご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことはまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」。分かりやすく言えば、生活の中で、思い悩むな。まず、神の国を求めれば、必要なものはみな、与えられる。これがイエス・キリストの教えとなります。毎日、神の国を求めれば、日常の必要なものはあとから付いて来ます。
そして今日の聖書個所の後を読んでみますと、子供が父親に食物を求めることになぞらえて、父親でしたら石ではなくパンを、蛇ではなく魚を、サソリではなく卵を子供に与えるでしょう。まして天の父は、神の国を求める人に、聖霊を賜わらないはずがあるだろうか。つまりたとえ悪い子どもであっても、父親は良いものを与えるのに、あなたが天の神様に聖霊を下さいと求めて、それを喜んで与えないはずがあろうか。問題は神様に祈ったら、喜んで聖霊を下さるのに、私たちがそれを本気で果たして求めているのか。ここが問われているのです。何故なら、神様は目に見えませんし、聖霊も目に見えません。空中に祈っても信じがたいのです。求めが継続しません。しかし、祈りとは言葉ですから、たとえ聖霊は目に見えなくても、求めるなら、たとえ不完全なクリスチャンであっても、天の父なる神様は、祈りの言葉の成就として必ず目に見える形で神の国と必要なものを喜んで与えられると今日の聖書個所は約束してくださっているのです。